あなたがいてくれてよかった

去年の6月頃より、仕事でちょっと訳ありな内容の作業依頼がやってきた。
前回担当していた方も精神的に辛くなりその方の手を離れ、
やがてその内容を実際に理解している人も居なくなりそのまま止まってしまっていたとの事。

確かに、内容を見た時には「これ、、、、今の自分にはちょっと無理じゃないだろうか」そんな気持ちが走った。

内容が難しいとか単純にそういう理由ではなく、そこに関わっている人と人のやりとりの複雑さ、
色んな人が関わっているものの、どこも未完成でこの先どう作ろうとしていたのかを知るものがいない。

途中まで家も建っていて、外観はほぼ出来てると見えていて、
色んなところが完成し切れてない中に、設計士が既にいなくて、工事していた人間もいない。
受注者の意図を知っている者もいない。
例えるとしたらそんな感じの物だ。

そして、既に壁に窓が作られてしまっている場所に、「本当はここに窓はいらなかったんです。窓は無くせますか?」という様な話が飛んできて、「いや、、、流石にそれは壁ごと変えないと出来ないですね、、ごめんなさい。」そんなやりとりを繰り返して来た中で先任の方も心が折れてしまったのかもしれない。

とにかく、色々ありましたが100%納得という訳には行かないにしても、
分からないながらも一つ一つエラーを潰していき、どうにか一旦完成までようやく進めた。

もっとシステムに詳しい人間だったら、もっと早く解決出来たのかもしれない。とか、
もうこれは絶対自分には無理だよ。とか、
本音は何度も何度も心折れそうになっている自分が居た。
「力不足で本当申し訳ないなぁ・・・・・・・」そんな風に思う日の方が多かった様に思う。

ようやくリリースに向けての兆しが見えてきた頃、

「本当に居てくれてよかった。」

という声を聞いた時に、
これまでの自分の申し訳ないなと思う気持ちが軽くなったのと同時に、

「居てくれてよかった」という言葉は双方に働く言葉であると感じました。

「あなたがいてくれてよかった」と言われた側も
その声を聴かせてもらえた「あなたがいてくれて救われた(よかった)」と思うのだと。

世の中のあらゆる存在はお互いに
「あなたがいてくれてよかった」になるんだということじゃないかと。

最終的な詰めのミーティング後の帰り道。
そんな事を思いながら歩いていると自分の進む先がずっと眩しくて。

光に向かって歩いている様な感覚になりました。

自分はいない方がいいのでは。と思うことがよくありました。
何かあったときの思い癖でした。
それは小さな頃から持っていた思い癖です。

実際には誰かにそんな風に言われたわけではないけれど、
その時その時の経験で蓄積され、構築されてきた感覚だと思います。

そんな思いは必要ないという事を、
今回の経験の中で気がつくためにこの様な道が用意されていたのかもしれません。

特別に大きな事を成し遂げるとか、そういう事ではなく、

どんな人も「あなたがいてくれてよかった」という
エネルギー交換をしながら生きている。

「あなたがいてくれてよかった」
魔法の言葉ですね。