「きのせい」は「気の精」なのかもしれない

最近、「日本の神様カード」もやるようになってから不思議というか
小さな頃はもしかしたらなんとなく知っていたかもしれないが、
とある現象がめだって感じるようになってきた。

日本はもともと古来から、「八百万の神の住む国」という。
古事記を読んだりしたこともあったが、かなりの数の神様の物語がある。

正直全部未だに覚えきれない。

「日本の神様カード」には48人の神様が出てくるが
それでも「八百万の神々」と考えたらほんの一部である。

最近、仕事をしていたりすると、小さな気配をよく感じるようになった。
もしかしたら日本の神様だけじゃないかもしれない。
たまに白い羽の端が一瞬見えたような気がして、「ん?錯覚?気のせいかな?」なんて思う事は
たまにはあったのだが、「日本の神様カード」をやるようになって、そう言えば・・・・と
思い出したかの様にこんなことが頭の中に思い浮かんだ。

自然界にもどんなものにも、神や精霊が宿っていて、古来の日本人は、その時々にどの神様にお祈りしたり語りかけながら生きていたんだよなぁ・・・と。

大気、風、大地、山、雨、海、水、樹、花、火・・・万物あらゆるものに宿っていると。

最近、気配を感じるようなことが増したときに、
確証はないけど、
「日本の神様って小さいのが沢山いるんだなぁ・・・・こんなあちこちに・・」なんて自然に思う自分
がいた。

じっさいに、お客さんに依頼されて「日本の神様カード」でリーディングした時に、その人の方から
非常に小さい人(とっても白く光っていたのではっきりとは姿形はみえないけど天使とはまた違う感じ)がまるでターザンかのように、弧を描いてこちらに向って飛んで来たのが一瞬みえたりもした。

また、仕事の幅が増えてしまった事で、パソコンの部屋の配置をもっと動きやすいように配置換えしようとしていた時に、そういった力関係の優れた神様を思い浮かべて、
「これから、ほんの少しだけ力貸して下さい。押すのを手伝って下さい」
なんて思いながら本棚やパソコンデスクを動かそうとすると、通常は一人じゃ動かなかったものが
すーーーっと動くのだ。

昔から
「ん?気のせいかな?」というが、それは昔はあらゆる物質、空間に神様が宿っていることを感じながら生きていた人々には違うニュアンスで発していた言葉だったのじゃないかと感じた。

「気の精」かな?
気=とは精霊や神々の気配を指していたのではないかと。

精霊(神様)の気かな?これは?

そんな意味だったような気がするこのごろである。